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ドロップシッパー店長組合掲示板

2009年09月02日

親父倒れるD

一時の興奮から醒め
振り返ってみると実に奇妙な時間体験だった。

徳島のマンションを出たのが19日の昼3時か4時だったか。
それからまた徳島に戻ってきたのが22日の夜7時ごろ。
実質4日足らずだがまるで1年くらいの月日が流れたかのように感じる。

母や姉と違い、生き死にの現場は初めてだった。
思えば他人の葬式にすら出たことがない。
ICU(集中治療室)に立入、人がチューブや機械につながれているのもはじめて見た。
これが人のあるべき姿なのかと疑ってしまう。

誰もが訪れる最期の瞬間をこんな場所で迎えているのだろうかと思うとゾッとする。
それでも一人孤独に誰にも看取られることなく逝ってしまうよりはマシなのだろうか?

それにしても親父の人生は何だったのだろうかと考えずにはいられない。
自営業をしていた親父は不況のあおりで仕事もなくこの10年ただ
無為に過ごしていたように見える。
本人が満足していた人生なのかは今となっては分からない。
まだ、生きてはいるが、目を覚ます可能性は低そうだ。
目を覚ますのなら1回目の手術から麻酔を切った頃に目覚めていなければ
おかしいとのこと。
今後どこまで意識が回復するのかは分からない。

満足していたかどうかという問いを自分自身にも向けるなら
やはりこれまでの人生は満足していなかった。
中学生の頃から仕事もなくゴロゴロしている親父を見て
こんな風にだけはなるまいと大学から家を出、就職も県外で一人がんばってきた。

お金さえ稼げれば幸せになれると信じていた。

あればそれに越したことはないが年を追うごとむなしく思えた。
この春会社を退職し、10数年ぶりに徳島に居を構え、これから再出発という矢先の出来事だった。

自分にとっても、家族にとっても大きなターニングポイントになる年になってしまった。
posted by winner at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親父倒れるC

話は戻り、親父の容態に変化。
手術から約1日たち定期的に観察していたところ
瞳孔の開きに差があり、脳ヘルニアの兆候が出ているとのことだった。

手術を行った場所に血種が通常より大きくできていることがおおよその原因だろうとのこと。
1回目の手術に比べ時間は早いが同じところを何度もあけたり、閉めたりするのは
それ自体にリスクがあるとのことだが、何にしても放って置けば
このまま脳ヘルニアが進行し呼吸器系などの神経を侵したり体の機能が失われてしまうのだそうだ。

再手術に母はまた自分を責めだす。
一番近くに居続けたのにこんなになるまで放っておかせたのがまずかったと。

母「もう生きる気がないのだろうか」
僕「それなら1回目の出血で死んでるはず、時間がたって次のハードルが現れただけ。」

21日深夜再手術開始。
今回は確かに早かった。

術後、ヘルニアの兆候は解消された。
頭のCT写真を手術前後を見るとスッキリなくなっていた。
再度親父と対面、心なしか頭が小さくなったように感じられた。

ここまでで概ね命の危機は乗り越えたのだろう。
僕は一足早く徳島に帰った。
今後はきちんと連絡が取れるように全員の携帯番号とメールアドレスを持ち帰った。

今もまだ親父はICUに居るが2回目の手術以降大きな変化は見られない。
多少熱が出るらしく、頭の出血している箇所の血を抜くためのチューブを腰に
移す手術をしたくらい。
時々、あくびをしたり、足をよじらせたりしているらしいが、
意識が回復するには至らなかった。
posted by winner at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

にぃにのこと忘れないで

「24時間テレビ」でのドラマ化が発表された
「にぃにのことを忘れないで―脳腫瘍と闘った8年間」。


にぃにのことを忘れないで―脳腫瘍と闘った8年間

にぃにのことを忘れないで―脳腫瘍と闘った8年間

  • 作者: 川上 ますみ
  • 出版社/メーカー: 文芸社
  • 発売日: 2007/06
  • メディア: 単行本




15歳という若さで脳腫瘍を発病。
2度の再発を乗り越えての闘病生活。

生きることをあきらめない姿に誰もが感動を覚えることでしょう。

時々こういった闘病のドラマがありますが、
決して他人事ではなく誰の身にも等しく訪れる
死という瞬間。
本当のところはもっとドロドロした感情が渦巻いているはず。
人間の強さだけを美化するようなことはして欲しくないです。

生きるということは行動を起こすこと。
一時の感傷に、他人の人生を切り取って感動だけもらおうなどという横着をせずに
自分自身や大切な人がそうなったときにどういう行動を取れるのか元気なうちに考えたいものです。
posted by winner at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親父倒れるB

約半日ぶりの対面。
親父の姿は変わり果てていた。
手術後の顔は倍くらいに腫れ、頭からチューブのようなものが出ていた。
人工呼吸器やカテーテルなどあちこちに管や機械がつながれていた。
が、とにもかくにも一命は取り留めたのだ。

ここからは手術後の経過観察。
血管れんしゅくやら言葉は忘れてしまったが、
出血による後遺症や手術の副作用などのハードルが待ち構えているらしい。

一旦、待機室に戻り、今後の対応を家族で検討。
待機室もいつまでもは使わせてもらえない。
とりあえず兄のアパートを住めるようにしようという話になった。
母の話によると総合失調症になっていた兄の部屋はすさまじいほどの
散らかりようだそうだった。

僕が片付けに一人アパートに向かった。
兄はというと父が倒れたショックからなのか熱を出し一緒に病院送り。
アパートに付くと大家さんがいて少し、というかかなり話をした。
聞けば杏林大学病院は日本屈指の病院らしく、
そこの運ばれたのは運が良かったのだそうだ。
確かに徳島の病院ではまともな治療など受けられそうにない。
早く切り上げて部屋を確認したかったが、
話好きの大家さんに小一時間ほど付き合わされた。
同じ話を3ターン位したような。。。

ともかく部屋に上がってびっくり。
風呂、トイレはカビだらけ。
冷蔵庫を開けると霜ができるような古い冷蔵庫で親父が倒れる前に
コンセントを抜いていたため、開けた瞬間溶けた霜がドバっとでてきた。
ごまが一緒に流れ出てきたのかと思いきやよく見ると
冷蔵庫内にびっちり付いていた。
虫の卵だった。

奥の部屋に進むとホコリまみれ。ごみの山。
壁には一箇所でっかい穴が空いていた。

これは無理と思い。ハウスクリーニングを依頼した。
この際、金で解決できるのならそのほうが精神的にも肉体的にも助かった。

兄は今も入院している。
posted by winner at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親父倒れるA

しばらく家族待機室にて待機。
これまで家族が一堂に会するなど10数年ぶりのことである。
両親とは時々はなしはしていたが、兄と姉にいたっては中学生以来話をした。(現在28なので約13年ぶり。)
親父がこうなった原因を母と兄は自分を責めだす。
必死になだめ、表面上は体の良い言葉で説得するが
本心は親父の不摂生が原因であることは明白で、
親父には内心同情はできなかった。
血圧が100-200くらいあったにもかかわらず病院には一切行こうとしなかった。
人にはあれこれとうるさく言ってくる親父だが、自己管理が一番できてなかったのは本人自身だった。

兄も久しぶりに会ったら、なんと総合失調症という神経系の病に侵されていた。
目はうつろでまるで人形のようだった。
高校卒業後、アニメーターを目指し上京していた。
専門学校を卒業後、きちんと仕事をしていたのだが、
この1年くらいで様子がおかしくなったらしい。
貧困と忙しさやら東京暮らしの寂しさが原因だったのだろうか。

もちろん家族全員にも問題があった。
一点は明らかにコミュニケーション不足でそれぞれが何を考えて
これまでの時間をすごしてきたのかさえ知らないでいた。
二点目は家族にリーダーと言える存在がいなかった。
もちろん家長は親父だが、その親父が家族をまとめるだけの力量など持ち合わせていなかったのだ。
そうする間にこの有様。

しばらくして医師から連絡、午前11時30分から手術、ICUに来てくれとのこと。
生きている親父を見る最期の瞬間になるかもしれないからと言われた。

この時点で頭を空けても原因が分かっていないためどうなるか分からない。
しかし、当たりはついているし、あらゆる状況を想定して対応に当たるとのこと。
60とまだ若く体力もあるので最善を尽くせば助かる可能性もある。

長い手術だった。
何かあれば連絡する、なければ手術終了後まで待機とのこと。
はじめの4,5時間まではとにかく連絡がないことを祈りつつ
待機部屋でひたすら待った。
連絡がなければ容態が悪化していない(手術は順調)と判断できるからだ。
こんなに長い時間を味わうのは何年ぶりだろうか。
結局12時間を越す大手術になった。

手術は成功した。

原因は頚動脈からの出血と分かった。
首から伸びる4本の動脈のうちの1本の脳の辺りのつけ根から
傷ができ出血したらしい。瘤ではなかった。
触れるだけでも出血するようなデリケートな箇所らしく
通常のクリップによる止血は無理との判断。
腕から血管を取り出してのバイパス手術となったため
12時間を越す大手術になった。
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親父倒れる

サイト8月にリニューアルしたばっかりで
これからまたガンガン更新して行こうとしていた最中
親父がくも膜下出血で病院に運ばれてしまった。

少しさかのぼるが8・19昼過ぎ母親から携帯に電話があって
「お父さんが危ない状態になっている。すぐに来てくれ。」
って、ちょうど兄の引越しの手伝いに東京に出ていたときである。

僕は徳島にいて、電話越しの母の声色からこれは冗談ではなく
本当に危ないのだなと直感し、すぐに急行した。
車に飛び乗り徳島空港→羽田経由、浜松町からタクシーで
杏林大学病院までおよそ5時間。
母親が驚くくらい早かった。

着いて状況を聞くと兄の引越しの準備中、
気持ちが悪いと言い出し、ベッドに横になった。
母は看護師をしており、父に触れると冷汗がありすぐに
危険な状態だと悟り救急車を呼んだらしい。

アパートは三鷹にあり救急車で5分程度の場所にある
杏林大学病院に担ぎ込まれた。
幸いこの時期、脳外科は閑散期らしくすんなりと受け入れてもらえた。
(冬はこの手の疾患が多く忙しいらしい。)

容態は脳内出血でも一番最悪のくも膜下出血。
最初の出血で約半数は死亡するらしかった。

病院のICUに通されると人工呼吸器やら何やら映画の中でしか
見たことがないような機械が親父の口や腕に刺さっていた。
とりあえずの出血はおさまっているらしく、麻酔によって眠らされていた。

遅れること数時間後、岡山の倉敷にいた姉が駆けつけた。

その後医師からの説明を受けたが、
最初のMRIやらの検査では出血箇所が確認できないとのこと。
ただし、右前方に出血が多く見られるためその辺りからの
脳動脈瘤破裂による出血だろうとのこと。
いずれにしろ手術は必要で放っておくと2度目の出血を起こし
さらに死亡する確率は高まるとの説明を受けた。

母と姉は看護師をしており、病状の説明を詳しく聞こうとしていたが
僕は半分以上、医師の言っていることが分からなかった。
ただ、放っておくと危ないということと、出血原因が分かっていないということだけ分かった。
医師と母らの問答の長さに苛立ち、
「原因が分かっていないのなら直ちに頭を開いて原因を確認するべき、原因不明なままの対処療法など治療ではない。手術によるリスクがあることも分かるが何より原因をはっきりさせることが最優先だ!」
医師や母らに向かって一蹴。
即座に母に手術の同意書にサインさせた。
夜も開け朝日が上り始めた頃である。
posted by winner at 05:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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